2013年5月6日月曜日

台湾の第四原発-自救会の会長さんのお話

 5月5日、台湾北部「貢寮」にある核四(第四原発)に反対する「自救會」を訪ねた。大学の同僚のF先生の授業で学生を連れて見学に行くのに混ぜていただいた。
 台中から新幹線で台北まで1時間、台北から電車に揺られてまた1時間。「貢寮」駅もあるのだが、降りたのは「貢寮」駅の一つ先の「福隆」。原発建設地なので海沿いの場所。その日は海岸でサンドアートのお祭り?も開催されていた。F先生から「福隆」はお弁当が有名と聞いて、お弁当が有名って何?と思っていたが、駅を降りると駅前の道の両側に店が並び、確かにお弁当屋がたくさんある。さらにどれが有名店なのか見てすぐわかるほど、駅前すぐの店は長蛇の列。観光客と思われる人たちがたくさんいた。駅でみんな集合し、サイクリングロードをとぼとぼ歩いて、10分ほどで「自救會」に着いた。
 核四は、今年、その是非を問う国民投票が行われることになっていて、3月には大きなデモ行動も行われた。
 私の中国語力では難しかった部分もあるが、以下、私が理解した会長さんのお話の内容。
・核四の歴史。民国69年(1980)に建設計画が出された。民国74年(1985)、蒋経国の時に、住民の反対にあい、建設計画は一時停止される。民国77年(1988)、「自救會」ができた。建設計画からすでに33年が経過。「自救會」は25年の歴史を持つ。
・台湾の第一から第三原発までは、セットで外国に作ってもらった。第四は、第一から第三とは違い、独立した計画。台湾電力が第一から第三の経験を元に、中心となって計画。
・原発がなければ電力不足が起きると言っているが、今、台湾の電力使用量は減少傾向にある。(工場が中国などに移転した結果)第四原発がない現在、電力不足の問題は起きていない。電力不足が起きるというのはウソ。
・現在ある原発では、高濃度の放射性廃棄物は、元の原発の場所に保管されている。保管方法に問題があり、原発周辺地域ではガンの羅患率が高い。
・原発はブラックボックスに包まれている。建設現場も、予算の使い方も明らかにされない。
・原発は安全でクリーンで安いと政府は言うがそれはウソだ。安いのウソの一つが中央埠頭の問題。核四のために作った中央埠頭は、自然の海流を止めてしまったので、自然の海流があれば流れていった砂がたまるようになり、それを毎日抜き取るために巨額の費用がかかっている。
・原発ではこれまでにも事故が起こっている。原発では何万本もの線が使われていて、そのうち1本でも問題が起きれば事故が起きる。事故が起きて放射性物質が拡散すれば被害は大きい。
・アメリカや日本のような高度の科学技術を持った国でも原発の事故が起こっている。(技術力が高くても事故は起きる)まして、台湾はアメリカや日本に比べて国土が狭い。そんなところで事故が起きれば大きな影響が起きる。小さな台湾で原発はいらない。
・核四の場所は、三つの活断層がある。地震の危険が大きい。
・地震が起きて想定される津波は20メートルに及ぶと言われている。しかし津波を防ぐ壁は12メートルしかなく、津波の被害から守ることができない。
・政府は、「原発から何キロ圏内」という言い方をするが、放射性物質が風にのって飛散するので、風の方向によって影響が変わり、中心から等距離に影響が出るものではない。政府の考え方は正しいことを伝えていない。
・国民投票は、ハードルが高すぎる。有権者の過半数が投票に参加しなければ投票は成立しない。核四を停止させるには、国民投票を有権者の過半数が投票に参加し、さらにその過半数が停止に賛成票を投じる必要がある。それは事実上不可能。(過去、国民投票が成立したことはない。総統選と同時に行われた国民投票ですら、過半数投票には達しなかった。)来年は大きな選挙が控えているが、現政権の国民党はその選挙と同日に国民投票を実施したくはない。だから今年中に国民投票を行おうとしている。
・国民党は核四賛成、民進党は核四反対、という政治的にはっきり対立があるのでもない。それぞれの中にも賛成や反対意見がある。
・地元の反応。最近は地元で大きな動きはない。3月9日の台北でのデモには多くの人が参加したが、それはむしろ意外だった。核四では200人強の地元民が働いていて、核四がなくなれば、その人たちが失業するという影響もある。
・会長さんの国民投票への見方。馬英九総統は、国民投票が成立せず、そして反対票がわりと多いという状況をねらっているのかもしれない。反対票が多かったので、核四を停止にはしないが、国民の意向を組んで、一時停止に持ち込む。そうすれば、自分たちのポケットにお金が入る。

 以下、質問とそれに対する会長の答え。
Q:火力発電は温暖化を引き起こし環境によくないと思うが。
A:それもあるかもしれないが、原発で放射性物質が出たらその影響は計り知れない。その影響のほうが危ない。
Q:国民投票の話が出る前と後では地元の様子は何か変わったか。
A:もう30年以上の問題なので地元は麻痺している。

 お話ししてくださった会長さんも、歳の頃は私とそう変わらないように見えた。とすると、30年以上のこの問題は、会長さんも計画が始まった頃は、子どもだったということ。最初の反対運動をしていた人とは、今は世代交代しているはずだ。逆に、計画を立ち上げた側も世代交代している。会長さんを前に、30年は長いなあと感じた。

0 件のコメント:

コメントを投稿